人材教育コンサルタント・教育研修の企画実施 田渕峰子
2010.02.01 Mon
真のリーダーは、カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。
彼らは勤勉さと献身によってリーダーとなる。
権力を集中させずにチームをつくり、真摯さによってリーダーとなる。
ピーター・ドラッガー「傍観者の時代」
彼らは勤勉さと献身によってリーダーとなる。
権力を集中させずにチームをつくり、真摯さによってリーダーとなる。
ピーター・ドラッガー「傍観者の時代」
2010.01.01 Fri

1月
耳を傾けることはコミュニケーションの前提である。
だが、耳を傾けるだけでは、効果的なコミュニケーションは実現しない。
コミュニケーションは私からあなたへ伝達するものではない。
それは、われわれの中の一人から、
われわれの中のもう一人へ伝達するものである。
組織においてコミュニケーションは手段ではない。
それは組織のあり方そのものである。
ピーター・ドラッガー「マネジメント」
2月
真のリーダーは、カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。
彼らは勤勉さと献身によってリーダーとなる。
権力を集中させずにチームをつくり、真摯さによってリーダーとなる。
ピーター・ドラッガー「傍観者の時代」
2009.12.01 Tue
1月
苦しみ、それは、あなたの理解を被っている殻が壊れること。
果実の芯が陽に触れるためには、まずその殻が壊れねばならないように、
あなたも苦しみを知らねばなりません。
あなたの日々の生活に起こるさまざまな奇跡へのおどろき、
それを心に常に生き生きと保てたなら、苦しみも喜びにおとらず
不思議に溢れていることがわかるでしょう。
田畑の面を過ぎていく季節を、いつも自然に受けとめてきたように、
心の季節をもあなたがたがそのまま受けとめられたなら。
苦しみの冬を通しても、晴朗さをもって目をみはっていられたなら。
苦しみの多くは自ら選んだもの。
それは、あなたがた自身のなかの、うちなる薬師(くすし)が、
病んでいる自分を癒そうとして盛った苦い苦い一服。
それゆえに、この薬師を信じなさい。
そしてその薬を沈黙と静穏のうちに飲みほしなさい。
なぜなら、その手がどんなに耐えがたく厳しくても、
「見えない方」の優しい手で導かれているのですから。
そのもたらす杯がどんなにあなたがたの唇を焼こうとも、
「陶工である方」がご自分の聖なる涙でしめらせた土で
つくられているのですから。
カリール・ジブラン「預言者」
2月
人生において、安全確実なものと、
挑戦的なもののバランスをとるということは、とても大切です。
このバランスがとれた状態を具体的には、脳科学の専門用語では
「偶有性(contingency)」といいます。
「偶有性」とは、半分は安全で予想できること、
半分は予想できないこと、この両方が混ざっている状態のことです。
実はこの偶有性の中にこそ、大変な叡智が詰め込まれているのです。
(中略)
そして脳は、この予想できることと意外性のあることが
混ざっている状態こそ、楽しいものとして感じ取ります。
映画やドラマなどは、その典型的な例といえるでしょう。
(中略)
つまり、偶有性とは「セキュア(secure)=予想できること」と
「チャレンジング(challenging)}=新しいこと」が、
うまく混ざっている不確実な状態なのです。
人生を豊かにするには、チャレンジングなものとセキュアなものの
ポートフォリオ(組み合わせ方)をどのように行うかが
すべてだといっても過言ではありません。
セキュアベース=安全基地が固められてこそ、チャレンジングができる。
これは、勉強法に限らず、人生をさらに豊かにするための
方程式といえるでしょう。
どちらか一方が極端に多くてもダメ。バランスが大切なのです。
茂木健一郎「脳を活かす勉強法」〜奇跡の「強化学習」〜
3月
訓練がいつも知識に先んじる
高貴な人生は、本を読んだり、神学的、抽象的な理論を学んだりする
ことだと仮定するような間違った考えが常識になっています。
またスピリチュアルな原則はこの方法によって理解できるという
間違った考えも常識になっています。
高貴な人生は、思考、言葉、行為の中で高貴に生きることであり、
これらのスピリチュアルな原則の知識は、
長期間の徳の探求と訓練によってのみ得られるのです。
少ないものを最初に理解してはじめて多くのものを理解できるのです。
訓練がいつも知識に先んじるのです。
教師は、生徒に決して最初から抽象的な数学の原則を教えません。
そのような指導方法はうまくいかないことを知っているのです。
彼はまず簡単な計算を用意し、説明し、生徒にやらせるでしょう。
何回もの失敗、努力によって、正しくできるようになり、
もっと難しい問題へと進むのです。何年もの勤勉な努力と応用で
算数を習得しない限り、根本的な数学の原則を学ぶことはできないのです。
機械工のような仕事を学ぶのであっても、少年はまず機械の基本を教えられ、
そして簡単な道具の使い方を学ぶのです。
そして道具を正しく使えるように努力、訓練するのです。
道具を正しく使えるようになって、もっと難しい課題が与えられ、
何年かの訓練の後に、機械学を学び習得する準備ができるのです。
規律正しい家庭では、親は子供に対して、最初に素直になること、
どのような状況下でも正しい行いをすることを教えます。
なぜそのようなことをするのかは教えられません。
そう命令されるのです。
正しいふるまいができるようになって初めて、
なぜそうすべきか教えられるのです。
家庭の任務や社会の徳を教える前に、
倫理の原則を教える父親はいません。
ですので、日常的な事柄においても、訓練はいつも知識に先んじ、
スピリチュアルなものごと、高貴な人生においても、この法則は必要なのです。
ジェームズ・アレン「Out from The Heart〜心からすべてが生まれる」
4月
人間は自分が考えたとおりの者になる。行ないは思考の花であり、
喜びや悲しみはその果実である。
人の心は庭のようなものである。
それは、知的に耕されることもあれば、野放しにされることもある。
そしてそれは、いずれの場合にも必ず何かを生産する。
人々は、自分の思考を隠し通せるものだと思いこんでいる。
しかし、それはまず習慣として速やかに具現化し、
続いて環境として具現化する。
人生の中には、運や偶然という要素はまったく存在しない。
人間は常に、自分の思考と同種のものを手にしながら、
自分が学び成長するために最適な場所にいる。魂さえも、誕生に際して、
それと同種の肉体にやってくる。
ジェームズ・アレン
5月
現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、
洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、
ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、
自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。
心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。
真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の
中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
村上龍「無趣味のすすめ」
6月
われわれは、
ひとりの指揮官と、
その命に従う兵隊からなる
「軍隊」ではない。
共通の理想をかかげ、
信念と責務を持った個人が、
我が身を賭して生きる
「ゲリラ」の集まりである。
安藤忠雄「建築家 安藤忠雄」
7月
君、現実というものは容認しなきゃいかんよ。
現実は否定してはいかん。
だからといって是認をしてもいかん。
容認をすれば、あるがままの素直な状態になるんだ。
その素直な状態をそのまま受け入れる。
あるがままの姿をそのまま自分が受け入れるということになるんだ。
容認するというのはそういうことなんだ。
あるがままに素直に受け入れると、物事の本質が見えてくる。
本質が見えれば、どういうことをすればよいかが自然とわかってくる。
答はそこにあるんだよ。
木野親之「松下幸之助〈叱られ問答〉」
8月
運は手に入れるものではありません。
運はもうすでに持っていることに「気づく」ことです。
運と知性とは別のものではありません。
知性とは知識をたくさん持っていることではありません。
「気づく」ことが知性なのです。
「なんだ、そうだったのか」というのが知性です。
「なんだ、そうだったのか」と言う時、人は微笑んでいます。
知性を磨くことで突然、運が開けるのです。
9月
未来は先へと逃げるが、
過去はいつでも現在に雪崩れ込む
串田孫一
10月
“見つめるナベは煮えない”ということわざがある。
早く煮えないか、早く煮えないか、とたえずナベのフタをとっていては、
いつまでたっても煮えない。
あまり注意をしすぎては、かえって結果がよろしくない。
しばらくは放っておく時間が必要だということを教えたものである。
考えるときも同じことが言えそうだ。
あまり考えつめては、問題の方が引っ込んでしまう。
外山滋比古「思考の整理学」
11月
私たちは毎日、真実を話すべきかどうかをふるいに
掛けることに多くの時間を費やしている。
私は嘘も方便のことなど言っていない。
それは日々のやりとりを円滑にするだけだ。
私たちはそれが死ぬか生きるかの問題になれば、
本能的に破壊的コメントを避ける。
正直であることと、100%すべてを開示することのあいだには
違いがあることを知っている。
口を開く前に、次のことを自問するように。
1.このコメントはあなたの顧客に役立つか?
2.このコメントはあなたの会社に役立つか?
3.このコメントはあなたが話している相手に役立つか?
4.このコメントはあなたがコメントをしている人に役立つか?
マーシャル・ゴールドスミス
「コーチングの神様が教える『できる人』の法則」
12月
13歳のとき、宗教の先生のフリーグラー牧師が、
何によって憶えられたいかね、と聞いた。
誰も答えられなかった。
すると、「今答えられると思って聞いたわけではない。
でも50になっても答えられなければ、
人生を無駄に過ごしたことになるよ」と言った。
今日でも私は、この問い、つまり何によって
憶えられたいかを自らに問いかけている。
これは、自己刷新を促す問いである。
自分自身を今日の自分とは若干違う人間として
見るよう仕向けてくれる問いである。
ピーター・ドラッガー「非営利組織の経営」
2008.12.01 Mon
1月
古今東西多くの賢人たちは、
想像の世界にしか存在しえないような共和国や君主国を論じてきた。
しかし人間にとって、いかに生きるべきかということと、
実際はどう生きているかということは、
大変にかけ離れているのである。
だからこそ、人間いかに生きるべきか、ばかりを論じて
現実の人間の生き様を直視しようとしない者は、
現に所有するものを保持するどころか、
すべてを失い破滅に向かうしかなくなるのだ。
なぜなら、なにごとにつけても善を行おうとしか考えない者は、
悪しき者の間にあって破滅せざるをえない場合が多いからである。
それゆえに、自分の身を保とうと思う君主(指導者)は、
悪しき者であることを学ぶべきであり、
しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、
会得すべきなのである。
マキアヴェッリ「君主論」
2月
クリストファー・コロンブスは新大陸を発見し、帰還した後、
スポンサーであったスペイン女王イザベル一世の晩餐会に招かれた。
ところが、その席でコロンブスは、
彼の功績を妬んだ招待客から難癖をつけられる。
「あなたがやったことはたいしたことではない。
ただ西へ西へと船を走らせ、新しい土地を見つけただけではないか」
コロンブスは食卓の上にあった卵を差し出し、
「立てて見せてくれないか」と言った。
意地悪な客は「よし」と応じたが、
楕円球形の卵をテーブルの上に立てることなどできなかった。
他の人たちも次々に挑戦してみたものの、卵はやはり立たない。
コロンブスは黙って卵の底を割り、立てて見せた。
そして、あっけにとられた招待客たちが
「それなら、だれだってできるではないか」と憤慨すると、
こう言い返した。
「私が新大陸発見でやったことはこれと同じだ。
だれかが成功してしまえば、それはあまりに簡単に見える。
しかし、それがだれかによって成し遂げられるまでは、
他のだれもそれができるとは思わない」
だれかが達成した後には当たり前に見えるが、
その前には到底不可能と思えること。創造とはこういうものだ。
企業でイノベーションや新製品開発に携わっている人なら、
自明のことかと思う。ビジネスモデルの構築においても同様だろう。
野田智義 金井嘉宏 共著「リーダーシップの旅〜見えないものを見る〜」
3月
ときに周りのひとのやる気が減ってしまうことがあってもOK。
自分にだって起こることだから、他のひとにも起こりうる。
ちょっとだれかのやる気が下がったというのなら、
その事実を受け容れて、
また、そのひとのやる気を高めてあげる一助となればいい。
自分だけでなく、
周りの人びとにもあてはまる持論があるおかげで、そうできる。
上司、先生という立場で自分の狭義のセルフセオリーを押しつけずに。
ひとりひとりのやる気は、
彼らがやる気についてどういう考えをもつかに左右される。
金井嘉宏著「働くみんなのモティベーション論」
4月
聞かれざる意見は、誤っているかもしれないが、
しかし、多くの場合、いくばくかの真実を含んでいるものである。
真実の残りの部分がもたらされる機会があるとしたら、
それは反対意見とのぶつかり合いによるしかない。
提示された意見が誤りであるとしても、
もし、それに対し、雄々しく真剣な討論を経ていないならば、
全体としての真実は、狭隘な偏見のもとにとどめおかれ、
ほとんど合理的見地からの理解と受容には至らないのである。
もしも、広くゆきわたっている考えであっても、
それが異なる見解からの挑戦を受けていないのであれば、
その価値は失われるのである。
J・S・ミル
5月
私がめざしていたのは「群れから抜け出す」ことだった。
私がただガトフの質問に答えていただけなら、
存在を認められることはむずかしかったろう。
上司というものはたいてい、部下に質問するときは、
すでに頭のなかで答えを出している。
上司はただ確認したいだけだ。群れから抜け出すには、
与えられた質問の枠を超えて考える必要がある。
私はただ質問に答えるだけでなく、
上司の意表をつく新鮮な視点を提供したかった。
ジャック・ウェルチ「わが経営」
6月
別の言い方をすれば、マネジメント経験のない人に
マネジメントを教えるのは、
ほかの人間に会ったことのない人に
心理学を教えるようなものだ。組織は一筋縄ではいかない。
組織の管理は複雑で繊細な仕事だ。
ありとあらゆる無形の知識が必要とされる。
しかしそういう知識は、実際の経験を通じてしか学べない。
実体験のない人間にそれを教えようとするのは、
時間の無駄というだけではない。
マネジメントを貶めることにもなる。
H・ミンツバーグ「MBAが会社を滅ぼす」
7月
教えることvs学ぶこと
・学びたいという気持ちはいつでもある。
だが、他人から教えられるのは絶対にごめんだ。
英首相ウィンストン・チャーチル
8月
間違った理論……理論それ自体は、正しいということもないし、
間違ってもりるということもない。
しかし、特定の理論を真実であるとして宣伝すれば、
それはドグマになり、学習は洗脳になりはててしまう。
絶対的に正しい理論などありえない。理論は、
いくつかのシンボル、たいてい紙に書かれた言葉の集合により
表現されるが、それは現実を単純化したものにすぎず、
真実そのものではない。
H・ミンツバーグ「MBAが会社を滅ぼす」
9月
代替的な理論……マネジメントの実務にとって、
以上の点のもつ意味は大きい。ある理論を用いるのは、
その理論が正しいからではなく、目の前の状況に有効だからなのだ。
そう考えれば、教室では特定の理論を教え込むべきではない。
「唯一かつ最善の方法」もいらないし、
流行のマネジメント理論もいらない。
マネジャーが直メンバーする状況は、その都度大きく変わる。
マネジメント教育で目指すべきは,
マネジャーが無意識にもっている理論
(クリス・アージリスとドナルド・ショーンの言葉を借りれば
「使用中の理論」)をあぶり出し、
それにかわりうる選択肢を示すこと。
同じ現象を説明する別の方法を提供することにより、
マネジャーが新しい視点で自分の経験を見られるようにするのだ。
マネジャーに必要なのは、ドグマではなく、選択肢なのである。
H・ミンツバーグ「MBAが会社を滅ぼす」
10月
ベーコンはこう語っている。
「どんな学問や研究も、それ自体をどう使えばいいかについては
教えてくれない。
その一方、現実生活をよく観察すれば、
学問によらずとも学問にまさる知恵を見につけることができる」
このベーコンの言葉には、現実生活の持つ意味が正しく表現されている。
しかも、知性を啓発するには何が必要かが的確にとらえられている。
人間は、読書ではなく労働によって自己を完成させる。
つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、
学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。
S・スマイルズ著「自助論」
11月
恐れについての真実
成長をつづける限り、恐れがなくなることはない。
恐れを取り除くには、行ってそれをするしかない。
自分が楽になるためには、行ってそれをするしかない。
慣れない部分でいつも恐れを感じるのは、
私だけではない。誰でも同じだ。
恐れを切り開いていくことは、無力感からくる恐れとつきあいながら
生きていくことに比べれば、まだしも怖ろしくはない。
スーザン・ジェファーソン
12月
われわれ自身についてまず受け入れない限り、何も変えることはできない。
シェルドン・コップ
2007.12.01 Sat
1月
もし、成長が成功に不可欠なものであるとするならば、
会社としては成長の安定的持続を保証する手段を講じる必要があります。
しかしながら、永久に成長し続けるものなどありません。
本来、成長は一時的なものにすぎないからです。
一番背の高い木は、最初に落雷を受けるものです。
それなのに、会社だけがいつまでも成長し続けることが
可能な唯一の組織であるとは、どうしても思えないのです。
いつも緑でいる樹木が、秋に美しく黄葉する木よりすばらしいと
言えるでしょうか?
世界中にチェーン展開しているファーストレストランのほうが、
何百年も営まれている老舗のレストランよりも
優れていると言えるでしょうか?
わたしがかつて受講した物理学の講座で、
最後に教授がつぎのような質問をしました。
「君達は、一体どこまで深く森の中を進むことができると思うかね?」
正解は「森の中間地点」でした。森を越えてしまったら、
森から離れてしまうからです。
リカルド・セムラー「奇跡の経営」
2月
私たちはみな、真の友人を必要としている。
真の友人とは、
他の人がみなあなたを見捨てて部屋から出て行ってしまったときに、
入ってきてくれるような人だ。
その反対に、有害で毒になる人間関係ほど、
自尊心や心のしなやかさを蝕むものはない。
私たちは家族や親戚を自分の意思で選ぶことはできないし、
職場の上司や同僚もまず選べない。
だが、だれと友人になるかは自分で選ぶことができる。
ロジャー・クロフォード「こんな『きっかけ』を待っていた!」
3月
多くの人は長年釣りをしていても、
自分が求めているのは魚そのものではないことに
なかなか気がつかない。
人は、とかく成果を得ることばかり考えて、
そこに至るまでの過程については軽視しがちだ。
だが、パイク・プレイス魚市場のビジネス哲学では、
魚を売ることよりも、
店にやってくる一人ひとりの顧客に対していかに接し、
どのように対応するかのほうが、
ずっと大切だと考えている。
ジョン・ヨコヤマ/ジョセフ・ミケーリ「魚が飛んで成功がやってきた」
4月
し残したことが多い・・・素晴らしい未来があるということ
「目標を達成したと考えたとき、停滞が始まる」
「準備万端ととのったと思うことは睡眠薬を飲むようなもの」
「現在のやり方をどのように改善できるか常に自問することによって、
進歩があり、努力が報われる」
「われわれはみんな、“不可能”や“否定的な考え”を
断固拒否する積極的で狂信的なグループになろう。
したいことをすることが
できるようになり、一緒に協力していけば、
“素晴らしい未来”が拓ける」
イケヤ社 カンプラートの九戒より
オッレ・ヘドクヴィスト&可兒鈴一郎「ヴァイキング7つの教え」
5月
過去の出来事を前進への燃料とするというのは、
過去を自分の都合のいいように書き換えるということではない。
よく、「過去を振り返るな。未来だけを見つめているんだ」
という人がいる。
だがそういう考えは、過去の失敗から目をそらせるための
言い訳にしかならないことが多い。そういう言葉は一見かっこいいが、
弾力性のある強い心を維持するには、
過去の体験はどうしても振り返ってみなければならない。
個人でも会社でも、苦境から立ち直る力のあるものは、
過去のいいことも悪いこともすべて振り返ってフィルターにかけ、
そこから強さやインスピレーションや知恵を引き出すことができる。
ロジャー・クロフォード「こんな『きっかけ』を待っていた!」
6月
朝、誰でも選ぶことができる。
‥‥いや、朝だけではない。
まさに瞬間瞬間に、みじめでいるか、幸福でいるか選ぶことができる。
そしてあなたがたは、いつもみじめでいることを選ぶ。
なぜならそうすることに投資しているからだ。
バグワン・シュリ・ラジニーシ「マイ・ウェイ」
7月
人間の関心は本来、個別・具体的なものに向かう傾向があるという。
「大きなシステム」を見ようとする時、
各部分が他の部分とどう関係しているかを見て、
大きなパターンを類推しようとする。
つまり、抽象化という頭のなかの作業によって部分から
全体を導き出そうとするのである。
ところが大きなシステムはなかなか見つからないので、
全体を見るのをあきらめて部分に戻る。
だが、全体を把握するには別の方法がある。
部分を見て、そこに現れている全体を理解する方法である。
ピーター・センゲ他「出現する未来」
8月
何事につけても、「自分はそれを失った」といってはならぬ。
「自分はそれを返した」というべきである。
きみの息子が死んだなら、それは返したのである。
きみの財産が奪われたなら、これもまた返したのである。
それを奪ったのは、たしかに悪人である。
しかし、贈り主がだれの手を通してそれを取りもどそうとも、
きみに何のかかわりがあろうか。
彼がそれをきみにゆだねる間は、それを他人の物として所有するがよい、
一夜泊りの旅人が宿屋をそうするように。
ヒルティ「幸福論」
9月
たいていの人が「自分の限界を、自分で決めて」います。
そのほとんどが、かなり手前に設定されています。
なぜなら、いままでの経験と相談するからです。
これは楽チンです。
おそらく失敗しないで済むでしょうから。
周囲から怒られることもなければ、バカにされることもありません。
ですから、現実的で、賢い判断と言えなくもありません。
しかし、私に言わせれば、小賢しい考えでしかなく、
そのような人は「できるわけがない」と思ったとたん、
すぐ諦めてしまう。
これこそ「知的怠慢」なのです。
大前研一「ザ・プロフェッショナル」
10月
問題解決において、最も大事なことは、「問題を発見する」ということだ。
問題を発見するためには、今までの会社に蓄積されている
管理するための情報(ありきたりの情報)だけではなく、
問題の本質を理解するための、“良い情報”が必要となる。
良い情報とは問題解決をするための情報で、
それがあれば良い分析ができ、その結果、
今まで気がつかなかった新しい発見、意味のある発見につながるのだ。
考えてみたらいい。競走相手に対して優位性を築くための施策が、
今までの取り組みの改善策であるわけがなく、
まったく新しい戦略的な取り組みであるはずだ。
その新しい戦略を今までみたことのある情報で考えることができるか?
それはありえないのだ。
大前研一・斎藤顯一 「実践!問題解決法」
11月
誰でも、なるべくならば容易にものごとを処理したいと願うものである。
だが、同じことでもたやすく実現できる人と、
大変な苦労をした末にしか実現できない者に分かれるのも事実である。
その原因は、あらかじめできている準備を、訪れたその機に投入すべきか、
またはしないほうがよいかを見極める判断力にあると思う。
なんでもかんでも、全力投球さえすれば成功するとは限らないのだ。
この際の判断力の良し悪しが、その人の人生がスムーズにいくか、
それとも大変な苦労に満ちたものになるかの、分かれ道であると思う。
マキアヴェッリ「戦略論」
12月
人間というものは、
自分を守ってくれなかったり、
誤りを質す力もない者に対して、
忠誠であることはできない。
マキアヴェッリ
2006.12.01 Fri
1月
相手に手をわたす
将棋は、お互いに一手ずつ手を動かしていき、指していく。
だから、自分が指した瞬間には自分の力は消えて、
他力になってしまう。
そうなったら、自分ではもうどうすることもできない。
相手の選択に「自由にしてください」と身を委ねることになる。
そこで、その他力を逆手にとる。
つまり、手を渡すというのは、自分が思い描いていた構想とか
プランをそのまま実現させることではなく、
逆に相手に自由にやってもらい、
その力も使って、返し業をかけにいくことだ。
羽生善治「決断力」
2月
今日という日に目を向けなさい。
昨日は夢にすぎません。
明日は想像にすぎません。
しかし、今日という日を十分に生きたなら、
たとえ昨日何があったとしても、それは、
幸福に包まれた夢となるでしょう。
そして、今日という日を十分に生きたなら、
明日は希望に満ちた日となるでしょう。
ですから、今日という日に目を向け、
それを十分に生きなさい。
ウパニシャッド
3月
知識を与えることと得ることは、
河に二つの岸があるのと似ています。
知識の河が流れるとき、それは二つの岸の内側を流れます。
一方の岸は教師であり、もう一方は生徒です。
教える者と学ぶ者はどちらも自分自身の意識の状態に対する理解を
表現しながら ともに成長していきます。
それはたいへん楽しいことです。
与える機会は誰か受け取る人がいて初めてやって来るものです。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
4月
動物のひとつの個体の存在は、
それ自体が他の個体にとって情報である。
その情報が交換されるかどうかは別として、
情報の相互作用が成立したときに、 動物の社会は成立する。
その意味での動物社会の存在は、高等動物にかぎらない。
ずっと原始的な動物においても社会は成立しているのである。
そして、その社会を成立させているのは、情報である。
梅竿忠夫「情報の文明学」
5月
世界は人類のために創造され、人類は世界を征服し統治するために
創造された、と当たり前のように信じ、
善悪の知識を最高の知識だと考え、
土を耕す生活が高貴で人間的な唯一の生き方だ、
と教えるような人間が 物語を書いたと思っていた。
物語をそのような視点から読むので、いつまでたっても理解できない。
しかし、別の読み方をすれば完璧に筋が通る。
世界を統べるための神の知恵を人は絶対に持てない。
その知恵を横取りしようとすれば、その先に待っているのは
『悟り』ではなく、『死』だ。
ダニエル・クイン「イシュマエル」
6月
いのちというものは、無意味な、厳しい、味気ないもので、
それにもかかわらず、すばらしいものです。
いのちは人間を笑いものにすることはありませんが、
人間をミミズ以上に気にかけるということもありません。
よりにもよって人間は、自然のひとつの気まぐれの所産であり、
ひとつの怖ろしいたわむれの所産だという考えは、
人間があまりにも自らを重大視しすぎるゆえに、
自らでっちあげた思いちがいです。
人間は決してどんな小鳥よりも苦しい生活をしてないこと、
むしろ彼らよりも安楽に、快適に暮らしていることを、
私たちはまず知らなくてはなりません。
ヘルマン・ヘッセ「地獄は克服できる」
7月
あなたの失敗は、あなたが失敗者であるということではなく、
まだ成功していないということです。
あなたの失敗は、あなたが何も達成しなかったということではなく、
何かを学んだということです。
あなたの失敗は、あなたが愚かな人だったということではなく、
大きな目標をもっていたということです。
あなたの失敗は、あなたが恥をかいたということではなく、
積極性をもっていたということです。
あなたの失敗は、あなたが無謀だったということではなく、
もっと違った方法でしなければならなかったということです。
あなたの失敗は、あなたに能力がないということではなく、
完全ではなかったということです。
あなたの失敗は、あなたが人生を浪費したということではなく、
ふたたび出発するチャンスがあるということです。
あなたの失敗は、あなたは諦めるべきだということではなく、
一生懸命努力すべきだということです。
あなたの失敗は、あなたが完成できないということではなく、
それはもう少し時間がかかるということです。
あなたの失敗は、あなたを神が見捨てたということではなく、
神はもっとよい考えをもっているということです。
ロナート・H・シュラー「可能思考」
8月
誰も説得によって人を変えることはできない。
すべての人は堅くガードされた心の変化の扉を持っており、
その扉は中からしか開けられない。
説得や感情に訴えることによって
他人の扉を外から開くことはできない。
心理学者マリリン・ファーガソン
9月
誠意ある行動は長きにわたって良い効果をもたらすが、
見せかけだけの行動はすぐ裏目にでる。
同僚や部下を大事に思うなら、
少しばかりの時間と配慮を払って自ら誠意ある行動を示そう。
フィリップ・W・ハースト「ベスト・リーダーシップ物語」
10月
友人が、ノーベル賞を受賞している物理学者のイシドル・I・ラビに、
どうやって科学者になったのかとたずねた。
家に帰ると母親が授業のことを毎日質問した、とラビは答えた。
何を習ったかに興味があったのではなく、
「きょうはいい質問をしたの?」とつねに聞いた。
「いい質問をすることで、私は科学者になった」とラビはいった。
出典不明〜トーマス・フリードマン「フラット化する世界」
11月
もし、私がそれをしなければ、
だれがするだろうか。
しかし、もし私が自分のためにだけそれをするなら、
私は何であろうか。
そして、もし私がいましなければ、
いつするのだろうか。
ヒレルの格言 ※タルムードの創始者のひとり
12月
信じるというのは、ただ、
「それが」真実だと信じるということではありません。
それ以上、ずっとそれ以上です。
信じることを、真実のことにするのです。
というわけで、一方の考え方の可能性を手に入れるということは、
たんに一つの考え方の可能性を選ぶことではないのです。
たんに考え方の可能性にすぎないものを実現することなのです。
V・E・フランクル「それでも人生にイエスと言う」
2005.12.01 Thu
1月
鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う
卵は世界だ
生まれようと欲するものは、
一つの世界を破壊しなければならない
鳥は神に向かって飛ぶ
神の名前はアブラクサスという
ヘルマン・ヘッセ「デミアン」
2月
川は至る所において、源泉において、
河口において、滝において、渡し場において、
早瀬において、海において、山において、
至る所において同時に存在する
川にとっては現在だけが存在する
過去という影も、未来という影も存在しない
ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」
3月
意味は文脈のなかで決まる
ウィトゲンシュタイン
4月
伝記においては、はりつめた、決定的な瞬間だけがものをいうのであり、
であるから、そうした瞬間においてのみ、また、そうした瞬間から
見られたときのみ、伝記は、正しく物語られるのである。
一個の人間がその全力を賭けるときにのみ、彼は、自己自身に対しても、
他人に対しても、ほんとうに生きているのである。
いつの場合でも、彼の魂が内に燃えあがり、燃えさかるときにのみ、
彼は外面的にも形姿をえるのである。
シュテファン・ツヴァイク「メリー・スチュアート」
5月
心が変われば態度が変わる
態度が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
運命が変われば人生が変わる
ヒンズー教のおしえ
6月
人間は "苦しみから逃れる行為" を苦しみと
呼んでいる
カルキの教えより
7月
階段
花がみなしぼむように、
青春が老いに屈するように、
一生の各階段も知恵も徳もみな、その時々に
花を開くのであって、永続は許されない。
生の呼び声を聞くごとに、心は、
勇敢に、悲しまずに、
新しい別な束縛にはいるように、
別れと再開の覚悟をしなければならない。
およそ事の初めには不思議な力が宿っている。
それがわれわれを守り、生きるよすがとなる。
われわれは空間をつぎつぎと朗らかに渉破せねばならない。
どの場所にも、故郷に対するような執着を持ってはならない。
宇宙の精神はわれわれをとらえようとも狭めようともせず、
われわれを一段一段高め広めようとする。
ある生活圏に根をおろし、
居心地よく住みついてしまうと、弾力を失いやすい。
発足と旅の覚悟のできているものだけが、
習慣のまひ作用から脱却するだろう。
臨終のときも、なおわれわれを新たな空間へ向け
若々しく送ることがあるかもしれない。
われわれに呼びかける生の呼び声は、
決して終わることはないだろう。
では、よし、心よ、別れを告げ、すこやかになれ!
ヘルマン・ヘッセ「ガラス玉演戯」
8月
辛いことが多いのは感謝がないから
苦しいことが多いのは甘えがあるから
悲しいことが多いのは自分のことしか考えないから
行き詰まりが多いのは裸になれないから
ある僧侶の言葉
9月
人生には素晴らしいことがたくさんあるのに、
なぜ仕事はそうではないのだろう?
どうして仕事を生活の糧として見るのではなく、
心から賞賛できないのだろう?
人々が人生で倫理観や価値観を育んでいったり、
人間性や芸術を表現するときに、
なぜその拠り所とならないのだろう?
美しいものを形にし、価値あるもの、時代をこえたものを
つくり出すことに かかわるプロセスなのに、
なぜそれを通して学べないのだろう。
仕事にはこのような潜在的な力が備わっているのに。
エド・サイモン
10月
ニーバーの祈り
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ
そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ
ラインホールド・ニーバー
11月
多様性は共同体そのものが存続するための必須条件だ。
無数の種で構成する共同体には、
地球全体が崩壊しない限り、
たいていの事態を生き延びる力がある。
ダニエル・クイン「イシュマエル」
12月
予見はリーダーの有する統率力の中核である。
いったん彼が統率力を失い、無理を強いるようになってしまうと、
彼はただ名目だけのリーダーに成り下がってしまう。
もはやリードしているのではなく、
目の前の出来事に反応しているだけであり、
長くは務まらないであろう。
道理の上では予見することが出来たであろうことを予見できず、
選択肢がある間にその知識にもとづいて行動を起こさなかったことから
生ずるリーダーシップの欠如の例は、現在溢れかえるほど存在するのだ。
ロバート・K・グリーンリーフ「サーバントリーダー」
2004.12.01 Wed
1月
てふてふが 一匹 韃靼海峡を 渡って行った
安西冬衛「春」
2月
あなたの喜びは、悲しみの素顔
笑いの込みあげてくる井戸は、しばしば涙で濡れています
そういうことなのです
悲しみがあなたの存在をえぐれば、えぐられたところに
それだけ喜びをたくわえることができます
嬉しいときには、自分の心の奥をのぞき込んでごらんなさい
すると見つけるにちがいありません
かつては悲しみのもとになっていたものが、
今は喜びのもとになっているのを
悲しくて仕方のないときも、心の奥をのぞき込んでごらんなさい
かつては喜びであったことのために、今は泣いているのだ、と
カリール・ジブラン「預言者」
3月
京の街の夕暮れ時、私の家に近い路上で、小学校三年か四年の私は、
ケンカ相手の少年の腕にかぶりついていた
六十年たった今も、その時の、みるみる口いっぱいになった
血のすごい生臭さを、はっきりと覚えている
だが、口を離したら最後、 自分には惨めに叩きのめされる運命しかない、
ということも知っていた
一瞬、迷った後、私は無我夢中で血を飲み込んだ
中坊公平「金ではなく鉄として」
4月
「子供が好きで・・・」という、その愛情のようなものが
先生たちの長所になり、欠陥になるのか、
長所になるのは、もちろん自明のことですからそれはそれで
よいのでいいのですけれどもやはりそれは教師としてのひとつの
危うい盲点のようなものにつながると思います
大村はま「教えるということ」
5月
ぼくは幸福という言葉は大嫌いだ
ぼくはその代わりに「歓喜」という言葉を使う
危険なことに向き合う、つまり死と対面し対決するとき、
人間は燃え上がる
それは生きがいであり、そのときわきおこるのが
しあわせでなくて、「歓喜」なんだ
岡本太郎「自分のなかに毒を持て」
6月
長く生きれば生きるほど、人生は明るくなり、
物事の道理が鮮明になる
以前、われわれを悩ませていたものは、神秘の色を失い、
曲がりくねった道は終わりに近づくにつれ、
真っ直ぐに見えるようになる
リヒター
7月
まことに生きることは闇
もし、そこに衝動がなければ そして衝動は盲目
そこに知識がなければ そしておよそ知識は空虚
そこに労働がなければ そして労働は空しい
そこに愛がなければ 愛をもって労働するとき、
あなたは自分をつなぎとめる
自分自身に、ひとに、そして神に
カリール・ジブラン「預言者」
8月
採否は「空気」が決める
従って「空気だ」と言われて拒否された場合、
こちらにはもう反論の方法はない
人は空気を相手に議論するわけにいかないからである
「空気」これは確かに、ある状態を示す
まことに的確な表現である
人は確かに、無色透明でその存在を
意識的に確認できにくい空気に拘束されている
山本七平「『空気』の研究」
9月
これこそ人生の真の喜びだといえるのは、たいへんに偉大だと
自分で納得できる目的に仕えているときだ
自然の力の一部になれるときだ
そうでなければ、熱に浮かされ、我がままで矮小な阿呆のままで、
疾病に悩み、愚痴をこぼし、なぜ世界は自分を幸福にしてくれるだけの
力を注いでくれないのか、と文句を言いながら一生を終わるだろう
ジョージ・バーナード・ショー「人と超人」
10月
知覚のドアを浄化すれば、
無限にすべての物事が
ありのまま見える
ウイリアム・ブレイク
11月
器物とる手は軽く、
置くときは、深く思いいれあり
なににしても道具置きつける手は、
恋しき人に別るると知れ
茶祖 紹鴎
12月
気高い夢を見ることです
あなたは、あなたが夢見た人間になるでしょう
あなたの理想は、あなたの未来を予言するものにほかなりません
夢は現実の苗木です
樫の木は、しばらくのあいだ、ドングリのなかで眠っています
鳥たちは、しばらくのあいだ卵のなかで待っています
そして人間の美しいビジョンのなかでは、
それを実現させようとして、
天使たちがせわしく活動しています
ジェームズ・アレン「AS A MAN THINKETH」
2003.12.01 Mon
1月
はじめに言っておくが、戦争は君の心が起こすのだ
多くの人が平和を望んでいるにちがいない
戦争はいやだ、あんな悲惨な思いをするのは
もうたくさんだ、と思っているのだろう
それでも、戦争は、君の心の中から起こるのだ
羽仁五郎「君の心が戦争を起こす」
2月
英語には「知的正直(intellectual honesty)という言葉がある
知的正直というのは簡単に言えば、わからないのに
わかったふりをしないと いうことにつきるのである
ほんとうにわかったつもりでいたのに、それがまるでまちがいだった、
ということはある
それは当てずっぽうのまちがいとは違うから、そういうまちがいなら、
まちがうたびに進歩する
渡部昇一「知的生活の方法」
3月
「神は細部に宿り給う」
語り古された言葉だが、
この世に芸術というものがあるかぎり、
絶えることなく言い継がれてゆくにちがいない
向井敏「背たけにあわせて本を読む」
4月
「旅」とは新しい知識をふやすことではなく、
まず自分の日常生活でついた垢を
振り落としてゆくことであり、
また旅の日々とは自分を捨て続けて裸の自分に
近づいてゆくという行為であって、
それが、本当は重要だったのではないかだから、
古来、修行のために旅に出て、文芸や学問のために旅をし、
その裸の自分をみつめ、
はじめて、ものごとの真相に同化することができたと思われるのです
栗田勇「花を旅する」
5月
あまねく物まねごとになしとも、
一方の花を極めたらん人は、
萎れたる所をも知る事あるべし
しかれば、この「萎れたる」と申す事
花よりもなほ上の事にも申しつべし
世阿弥「風姿花伝」
6月
信子は、いつか国語の先生が、人間には「見る」というシンプルな
動作は できないのだと言っていたことを思い出した
人間にできるのは、「観察する」「見下す」「評価する」
「睨む」「見つめる」など、
何かしら意味のある目玉の動かし方だけで、
ただ単に「見る」なんてことはできないのだと
宮部みゆき「理由」
7月
それだから走るのだ
信じられているから走るのだ
間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ
私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの
為に走っているのだ
ついて来い! フィロストラトス
太宰治「走れメロス」
8月
あなたが何か偉大な目的や、偉大な計画に駆り立てられたとき、
あなたの思想はすべての束縛を打ち破ります
あなたの心はすべての限界を超越し、
意識はすべての方向へと広がり、
あなたは自分が新しい、偉大な、
すばらしい世界にいることに気がつきます
今まで眠っていた力や能力や才能が生き生きと働きだし、
自分がいままで夢にも思わなかったほど、
すばらしい人間であることを、
あなたは発見するのです
パタンジャリ
9月
感情を素直に感じることは、
感情と知性と肉体の状態をひとつに統合することです
感情とたたかったり、感情を否定しようとすると、
あなた自身の現実から遊離してしまいます
ジェーン・ロバーツ
10月
花であることでしか
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのままおしかえす
もはやひとつの宣言である
ひとつの花でしかありえぬ日々をこえて
花の周辺は的確にめざめ
花の輪郭は
鋼鉄のようでなければならぬ
石原吉郎「石原吉郎詩集」
11月
私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、
はじめから誤っているのです
つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです
人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです
私たちは問われている存在なのです
私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い「人生の問い」に
答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです
生きること自体、問われていることにほかなりません
私たちが生きていることは、答えることにほかなりません
そしてそれは生きていることに責任を担うことです
V・E・フランクル「それでも人生にイエスと言う」
12月
私が先生になったとき
自分が真理から目をそむけて
子どもたちに本当のことが語れるか
私が先生になったとき
自分の未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか
私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちに一体どんな夢が語れるか
私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに胸を張れと言えるか
私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるか
私が先生になったとき
ひとり手を汚さずに
自分の腕を組んで
こどもたちに頑張れ、 頑張れと言えるか
私が先生になったとき
自分が戦いから目をそむけて
子どもたちに勇気を出せと言えるか
宮沢賢治「私が先生になったとき」
2002.12.01 Sun
1月
東は希望だということ
南は愛である 愛さえあれば目的は見つかる
西は精神であろう 西は内面追求
北は試練である
苦しくて苦しくてどうにもならないとき、
全知全能を傾けて戦う そこに知恵がでる
そこにエネルギーがわいてくる
「ネイティブアメリカン聖なる言葉」
2月
素直な言葉で語ることは
こんな人だったのかと恐れないで語ること
そうして語っていると
人にどう思われるかという恐れは消える
素直な言葉で語ると人はラクになる
「ネイティブアメリカン聖なる言葉」
3月
桃太郎が鬼ヶ島に行きしは宝を取りに行くと云へり
けしからんことにならずや
宝は鬼の大事にして、しまい置きしものにて、宝の主は鬼なり
主ある宝を訳もなく取りに行くとは桃太郎は盗人とも云うべき悪者なり
もしまたその鬼がいったい悪きにものにて世の中のさまたげを
為せしことあらば桃太郎の勇気にてこれを懲らしむるは
はなはだ善きことなれども、
宝を取りて家に帰り、おじいさんとおばあさんにあげたとは、
ただ欲のための仕事にて卑劣千万なり
福沢諭吉
4月
子供に教えるとはどういうことであろうか
それは白紙にものを書くようなものだ
年寄りに教えるということはどういうことであろうか
すでにたくさん書き込まれた紙に、
よはくを探して書き込もうとするようなものだ
ラビ・M・トケイヤー「ユダヤ千年の知恵」
5月
仕事をしていくということよりも私は「生んでいる」
という仕事を願い、したいと思っているのです
私は自分で板画をやっていますから、板画のことになると
鬼にもなり蛇にもなるのです
仏にもなり神にもなってもらいたいのです
自分でするのではなくしてもらいたいのです
ですから私がした仕事ではなく、板画がした仕事になって
もらいたいのです
棟方志功「板極道」
6月
それは最良の時代でもあり、最悪の時代でもあった
知恵の時代でもあり、愚行の時代でもあった
信頼の時代でもあり、不信の時代でもあった
光の季節でもあり、闇の季節でもあった
希望の春でもあり、絶望の冬でもあった
我々の前にすべてはあり、我々の前には何もなかった
C・ディケンズ「二都物語」
7月
人間にとって最も大切な努力は、自分の行動のなかに
道徳を追求していくことです
わたしたちの内面的なバランス、そして、存在そのものが、
そのことにかかっています
行動に現れる道徳だけが、人生に美と品位をもたらします
アルバート・アインシュタイン
8月
単一の説を守れば、其の説の性質はたとい純情善良なるも、
之によりて決して自由の気を生ずべからず
自由の気風はただ多事争論の間に在りて存するものと知るべし
福沢諭吉「文明論之概略」
9月
ペレはいつも「ボールは恋人」と公言し、優しく丁寧に扱ってやれば、
ボールはいつも私を裏切らないと言っていた
ボールだけではなく、ペレの足の上ではグレープ・フルーツさえ
喜々として彼の意のままに踊っていた
ペレに限らず、世界の名手たちは例外なく仕事が丁寧だ
長沼健「十一人のなかの一人」
10月
中国の気功の大家、焦国瑞老師が来日したとき、
話を聞く機会がありました
外三内七、という話を聞きました
「気功では、内にこもる力が七、外に出す力が三、
という状態で演じます
外三内七のとき、演ずる姿は、いちばん美しいのです」
文章でも同じことが言えるのではないでしょうか
内にたくわえたものが七で、表現を三にとどめた表現のほうが、
文章に緊張感があるのではないかと思います
辰濃和男「文章の書き方」
11月
だいたい私はペットというものが嫌いで、犬でも猫でも
やたらに可愛がったりはしない
自分と対等に付き合って欲しいからだ
その点孔雀は理想的な友達で、
いくら馴れても甘えるということはなかった
犬や猫が私のそばにいてもまったく無視していたし、
餌をせびることもない、
やらなければやらないで知らん顔で澄ましている
その矜持の高さは見事というほかはない
仏教の世界で「孔雀明王」として崇められたのも
当然のことのように思われるのであった
白洲正子「名人は危うきに遊ぶ」
12月
だいたい小説というものは、1ページといわず、
五、六行も読めば、どんな作品かわかってしまう
ずいぶん生意気な言い分だが、ほんとにそうなのだから仕方がない
たとえば演劇や舞踏のたぐいでも、舞台に立った形だけで、
およその腕前は検討がつくのだから、別に小説にかぎるわけではない
文学はそういうものより高級だと思っている人がいたら、
よほどいイカレている
もはや余命いくばくもない私には、
そんなものと付き合っている暇はないのである
白洲正子「夕顔」
2001.12.01 Sat
1月
自己を習うというは自己を忘るるなり
自己を忘るるというは万法に証せらるるなり
自己を運びて万法を修証するを迷とす
万法進みて自己を修証するは悟りなり
道元「正法眼蔵」
2月
それぞれの人にとって環境とは
「私を除いて存在する全て」であるに違いない
それに対して宇宙は
「私を含んで存在する全て」であるに違いない
環境と宇宙の間のたったひとつのちがいは 私・・・
立花隆「宇宙からの帰還」
3月
宇宙全体をオーケストラにたとえたら持っている楽器は
バイオリン、フルート、シンバル、コントラバスとみな違う
そのものすごい数の違った楽器を持っているときに、
いったい自分はどういう楽器の受け持ちかが分かることが必要である
森政弘「非まじめのすすめ」
4月
私の前を歩くな 私が従うとは限らない
私の後ろを歩くな 私が導くとは限らない
私と共に歩け 私たちはひとつなのだから
エリコ・ロウ
アメリカ・インディアンの書物より賢い言葉」
5月
沢辺の野生の雉は十歩あゆんで、
やっとわずかの餌にありつき
百歩あゆんでやっとわずかの水を飲む
が、それでも籠のなかで養われることを求めない
荘子
6月
紙に書かれた思想は、一般に、
砂に残った歩行者の足跡以上のものではないのである
歩行者のたどった道は見える
だが歩行者がその途上で何を見たかを知るには
自分の目を用いなければならない
ショーペン・ハウエル
7月
美人が分からないという人はいない
しかし、みんなが考える美人を集めると
美ができるかというとそうではない
それはまさに自然が美であるから
その自然をさらに完成させようとすると
不自然になり、美から遠ざかる
小松左京・高階秀彌「絵の言葉」
8月
美意識の質の高さは実に、その人が自然とどのようにかかわってきたか
ということが基本的条件なのである
美しいと感じる心は人間の側にあって
自然が積極的に働きかけるわけではない
我々が自然のなかに呼吸して美的感情を培っていると思っていい
安野光雅「狩人日記」
9月
ああ云うことが起こるまでは私共はそんなことは
あり得ないと考えていたのです
然し、今此処に実際起こった場合、其考えを持ち出して、
それを批判する事は許されていないと思います
志賀直哉「范の犯罪」
10月
師に優るところのない者は あわれむべきである
レオナルド・ダ・ビンチ
11月
のんきと見える人も
心の底をたたいてみると
どこか悲しみの音がする
夏目漱石「吾輩は猫である」
12月
冬陽は郵便受けのなかへまで射しこむ
路上のどんな小さな石粒も
一つ一つ影をもっていて、見ているとそれが
みな埃及のピラミッドのような巨大(コロッサール)
な 悲しみを浮かべている
梶井基次郎「冬の陽」
2001.01.06 Sat
筍の時よりしるし弓の竹
去来
いくすべり骨おる岸のかはづ哉
去来
物売りも佇む人も神の春
高浜虚子
大寺を包みてわめく木の芽かな
高浜虚子
叱られて泣きに這入るや雛の間
高浜虚子
海に入りて生まれかはろう朧月
高浜虚子
くもりたる古鏡の如し朧月
高浜虚子
白牡丹といふといへども紅ほのか
高浜虚子
目には青葉山ほとゝぎす初がつほ
素堂
行く春や 鳥啼き魚の 目はなみだ
松尾芭蕉
春なれや 名もなき山の 薄霞
松尾芭蕉
行く春を 近江の人と 惜しみける
松尾芭蕉
夏近し その口たばへ 花の風
松尾芭蕉
春風に 吹き出し笑う 花もがな
松尾芭蕉
春雨や 二葉に萌ゆる 茄子種
松尾芭蕉
辛崎の 松は花より 朧にて
松尾芭蕉
猫の恋 やむとき閨の 朧月
松尾芭蕉
ほろほろと 山吹散るか 滝の音
松尾芭蕉
2001.01.05 Fri
手のうへにかなしく消る螢かな
去来
蝸牛たのもしげなき角振りて
去来
暁の紺朝顔や星一つ
高浜虚子
行水の女にほれる烏かな
高浜虚子
金亀子擲つ闇の深さかな
金亀子(こがねむし)
擲つ(なげうつ)
高浜虚子
つかみあふ子供の長や麦畠
游刀
六月や 峰に雲置く 嵐山
松尾芭蕉
水無月や 鯛はあれども 塩鯨
松尾芭蕉
五月雨を 集めて早し 最上川
松尾芭蕉
蛸壺や はかなき夢を 夏の月
松尾芭蕉
田一枚 植ゑて立ちさる 柳かな
松尾芭蕉
おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな
松尾芭蕉
ほととぎす 鳴く鳴く飛ぶぞ 忙はし
松尾芭蕉
閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声
松尾芭蕉
夏草や 兵供が ゆめの跡
松尾芭蕉
あらたうと 青葉若葉の 日の光
松尾芭蕉
2001.01.03 Wed
岩鼻やここにもひとり月の客
去来
名月や海もおもわず山も見ず
去来
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規
秋晴れて見かくれぬべき山もなし
正岡子規
行く我にとゞまる汝に秋二つ
正岡子規
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭
高浜虚子
桐一葉日当りながら落ちにけり
高浜虚子
彼一語我一語秋深みかも
高浜虚子
君と我うそにほればや秋の暮
高浜虚子
葡萄の種吐き出して事を決しけり
高浜虚子
大いなるものが過ぎ行く野分かな
高浜虚子
ひらひらと深きが上の落葉かな
高浜虚子
白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒は静かに飲むべかりけり
若山牧水
ふるさとの 尾鈴の山の かなしさよ
秋もかすみの たなびきて居り
若山牧水
文月や 六日も常の 夜には似ず
松尾芭蕉
秋風の 吹けども青し 栗の毬
松尾芭蕉
砧打て 我に聞かせよ 坊が妻
松尾芭蕉
初秋や 海も青田も 一みどり
松尾芭蕉
枯枝に からすのとまりけり 秋の暮
松尾芭蕉
この道や 行く人なしに 秋の暮れ
松尾芭蕉
秋深き 隣は何を する人ぞ
松尾芭蕉
物いへば 唇寒し 秋の風
松尾芭蕉
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
松尾芭蕉
石山の いしより白し あきの風
松尾芭蕉
荒海や 佐渡に横たふ 天の川
松尾芭蕉
月はやし 梢は雨を 待ちながら
松尾芭蕉
名月や 池をめぐりて 夜もすがら
松尾芭蕉
道のべの 木槿は馬に 食はれけり
松尾芭蕉
びいと啼く 尻声悲し 夜の鹿
松尾芭蕉
むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
松尾芭蕉
こもり居て 木の実草のみ ひろはばや
松尾芭蕉
菊の香や ならには古き 仏達
松尾芭蕉
一屋(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月
松尾芭蕉
2001.01.02 Tue
雪残る頂き一つ国境
正岡子規
萬歳や左右にひらひて松の陰
去来
北風や石を敷きたるロシア町
高浜虚子
年暮ぬ 笠きて草鞋 はきながら
松尾芭蕉
箱根こす 人もあるらし けさの雪
松尾芭蕉
馬をさえ ながむる雪の あしたかな
松尾芭蕉
いざ子ども 走りありかん 玉霰
松尾芭蕉
木枯に 岩吹きとがる 杉間かな
松尾芭蕉
初時雨 猿も小蓑を ほしげなり
松尾芭蕉
旅人と 我名よばれん 初しぐれ
松尾芭蕉
住みつかぬ 旅のこころや 置火燵(おきごたつ)
松尾芭蕉
初雪や 水仙の葉の たわむまで
松尾芭蕉
いざ行かん 雪見にころぶ所まで
松尾芭蕉
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る
松尾芭蕉
ねぎ白く 洗ひたてたる 寒さかな
松尾芭蕉
鷹一つ 見付てうれし いらご崎
松尾芭蕉